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Channel: Kereta dan Kucing
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ゴンダンディアの駅猫?

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ボゴール方面に出掛けた際、まだ急行が運転されていた頃の感覚で長居をしていたところ、帰りが
すっかり遅くなり、ホテルの有るゴンダンディア駅に到着したのは10時近くになってしまいました。
この時間だと賑やかだった駅ナカ商店も、その殆どが店仕舞いし静まり返っております。
少々不気味だな〜と思いつつ歩いていると、ショウケースに陳列されたこんなモノを発見!!

この店、昼間は携帯電話屋さんだったのですが・・・夜はペットショップになるのですね(笑)

あまりに面白い光景だったのでカメラを構えていると、私の気配に気づいたのか、突然起きました。

それにしても一体どうやって入ったのだろうか?と思っていると、

いきなり反対側から顔を出し、「ニャー」と必死に何かを訴え始めました。

まさかショーケースの裏面にガラスが無いとは・・・(笑)何とも不用心ですね。

それにしてもこの猫、毛艶が良く、人に慣れているようで近づいても全く逃げません。

ケースの中を良く見ると、何故か下段だけに新聞紙が敷かれておりましたので、もしかするとお店の方々
から可愛がられているのかも知れませんね?この後もケースの中がお気に入りのようで、丸くなって
寝ていましたが、冬でも暑いジャカルタの夜、こんな狭い場所で寝て寝苦しくないのでしょうか??

平渓の商店街を散策

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駅から坂を下り、基隆河の河岸まで行った後は、来た道を戻り今度は山の方へ行ってみる事にします。
川沿いの道をを歩いていると、台北近郊では珍しい!!こんなお店も有りました。

外は暑いのにお肉を置いて痛まないのかな〜?と、ふと疑問に思いましたが・・・・・

平日だったせいか閉まっている店が多く、駅前から続くメインストリートも閑散としています。

商店の前では、お爺さんやお婆さんが椅子に腰かけお茶を飲みながら歓談中。

メインストリートから外れ、山の方に向かう道を歩いて行くと、何とも趣き有る商店に遭遇しました。

生活雑貨全般を取り揃えたこのお店、少し前までは日本のローカル線の駅前にも有りましたね。

続く着物を売っていたこのお店も、良い雰囲気です。

無理やり着物を着せられたクマのぷーさんの表情が、虚ろで少し怖い!!

平渓線を潜るガードの下では、一体何時作られたか解らないこんな看板も?

”子供や孫の為により良い社会を作ろう”といった旨のスローガンでしょうかね??

ガードを通過すると商店が無くなり山道に、更に登り続けると、こんな俯瞰撮影スポットが出現。

程なく菁桐行きの列車がやって来たので、後打ちにて撮影したところ、街全体も写りなかなか良い感じです。
欲を言えば、手前の葉っぱさえ無ければ、3連綺麗に入ったのですが・・・・(涙)

チキニ駅の先端で!!

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宿泊先である、ゴンダンディア駅からボゴール方面に一駅進んだチキニ駅は、午前中ボゴール方面行き
列車を順光で撮れるため、足しげく何度も通いました。この日も良い天気だったので、撮影していると

まずやって来たのはガンビル駅からマンガライに向け、回送されて行く客車列車が通過!!

続いてブカシ行きのエコノミーACに充当中の東急8610Fが到着です。

この8610F以前は幕がボロボロに壊れ無残な姿でしたが、KRLマニアのF君とボゴール電車区のSさんが
懸命に修理し、現地仕様の方向幕が装備されました。

その後にやって来たのはボゴール行きのエコノミーAC運用に就く都営三田線6000系。

この系列は以前、パクアン急行運用に使われる事が多く、中ドアが閉め切られていたのですが、急行の
廃止と共に、全てのドアが開くように復旧された様子です。

続行でやって来たボゴール行きは、東京メトロ東西線5000系67編成でした。

この頃から、大きな雲が出始め少々不安に思ったのですが・・・・・

間髪いれずにガンビル駅発、CC20300形DL牽引による長距離列車が猛スピードで通過。

前面のロゴがJABOTABEKの新ロゴに変っていますが、一斉に貼り替えという訳では無いようです。

そして、待ちに待った203系がやって来た時には、どんよりとした曇り空になってしまいました(泣)

前日まで”上野”行きだった行き先は、何故か”綾瀬”行き?
果たして誰が行き先を設定しているのか?興味深いところですね??

この後、、どんぶりをひっくり返したような雨が降ってきて、危うくびしょ濡れになることでした。
僅か数分の間に天候が急変する雨季のジャカルタ・・・恐るべしですね。

岳南富士岡駅の猫達

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今年3月、かつて鉄道事業の要だった貨物輸送の廃止により、すっかり寂しくなってしまった感のある
岳南鉄道ですが、昭和の時代を色濃く残す沿線風景は魅力的で何とか存続して欲しいところですね。
そんな岳南鉄道の心臓部、岳南富士岡駅には、以前から沢山の猫達が棲んでおりました。

なんでもスタッフの方に猫好きな方が居られるとかで、駅舎を出ると猫達がお出迎えしてくれます。

この日遭遇したのはこの家族!!駅に隣接する検修庫の詰所前で、夫婦仲良く毛繕い。

それにしても真ん中の子猫はお母さんそっくりですね(笑)

その後、夫婦揃って何処へとお散歩に。

既に車籍は無かったものの、この頃はまだ全ての赤ガエルが健在でしたっけ・・・・・。

やって来たのは検修庫の建屋前。

全検中だったED402が心配で見に来たのかも知れません(笑)
(本当は線路の向こうに大きな黒猫が居り、線路を挟み威嚇しあっておりました)

永らく放置状態だった赤ガエル達。ボロボロに剥げた塗料から見える東急ライトグリーンが何とも
悲しげだったのを思い出します。

残念ながら赤ガエルは既に解体されてしまいましたが、残された由緒ある機関車達と岳南富士岡駅に
棲息する猫達が、新たな岳南鉄道の名物として脚光を浴びてくれれば嬉しいのですが・・・・・

台湾塩博物館の保存機達

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多くの保存車が保管されていた七股塩田から程近い場所には、同じく台湾において製塩産業の功績
を記念した、立派な台湾鹽博物館が別に設置されておりました。

入ろうとしたところ、入場無料だった七股塩田に対し、こちらは130元(約500円)で少々高い・・・!!

でもまあ折角来たのだから、入場料を払い館内に入ってみると、七股塩田では朽ち果てていた、
西ドイツ・SCHOEMA製のDLが良好な状態で展示されております。

張りぼてとはいえ、詰所や採塩の様子まで再現され、とても興味深いところでした。

更に奥に進むと、KATO君がお出迎え♪

バックには、当時の塩田で暮らす人達のパネルも設置され、解説のプレートも有ったのですが、残念
ながら中国語のみで、全ては理解出来ません・・・・。

保存されているNO3号のkATO製DL、台枠にはKATO WORKSの文字が残ります。

キャブ窓からして相当古そうですが、何時台湾に来たのでしょうね??

そして特別展となっていた”鹽村劇場”では、当時の人達の生活を伝える写真が貼られておりました。

その様子を見ると、砂糖キビ同様に台湾の主力産業の一つだった事を伺い知る事が出来ます。

中でもこのパネル群は何となく印象的でした。

某○正公による独裁恐怖政治が数十年に渡り行われた台湾において、没後、戒厳令が解かれるまで
庶民の人達の生活はきっと重く苦しかったのでは・・・と思いましたが?ここの写真に残る人達の表情
は笑顔ばかり??果たしてその笑顔が本当なのか?それともプロバガンナ的に作られたものなのか??
今となっては知る由も有りませんが。モノクロ写真に写る小姐の笑顔は何故か心に突き刺さりました。

環状東線で出遭った猫

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パサールセネン駅からお隣のガンセンション駅に向け歩いていると、まず出現するのが線路上に建てられた
バラック小屋やゴミが散乱するスラム街です。稚ブログでも何度か紹介させて頂きましたが、私も初めて
ジャカルタに訪問した際に、線路上で生活するこの人々を見た時は言葉にならない位に衝撃を受けました。

当時は「こんな所には絶対に行っては行けない・・・」と思いましたっけ(笑)

この周辺を歩いていると、沢山の人々が生活しているせいか?猫も頻繁に見かけます。

警戒心の強い子が多かったのですが、この三毛猫だけは人に慣れていて、ゴロゴロ言いながら、私の足
にすり寄って来ました。何か食べ物でも持っていればあげたのですが・・・・・・
そういえばジャカルタのスーパーでは、キャットフードを売っているのをあまり見かけませんでしたね?

スラム街を抜けると、ガンセンションの市場街が出現します。

ここも数年前までは露店の市場が軒を連ね、デュリの線路市場のような風景が刳り広げられていたの
ですが、現在は線路に平行したアーケードが完成し、市場も露店では無くなりました。

ここでも、多数の猫達が棲息しているようで、まずやって来たのはこのお母さん猫。

お腹が大きく垂れ下がっていたので、今頃はきっと沢山の子猫を産んでいる事でしょう!!

そしてアビシニアンのような、こんな猫も居りました。

アビシニアンでお馴染のティックタビー柄の猫は、東南アジアが原産という説も有りますので、もしかしたら
古来からインドネシアに居る猫なのかも知れませんね??

デヤサンドが出来るまで??

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今月初旬に、華々しく運用を開始した新しい電気検測車デヤ7500形ですが、一方でデヤ7200形は長津田検車区に
ずっと留置されたままで、すっかり出番が無くなってしまったようですね。
2008年のとある日、デヤ7200による秩父鉄道7000系の出場シーンに偶然遭遇し、恩田での転線や入換を見る事が
出来ましたので、懐かしい長津田工場構内の様子と共にご紹介致します。

8000系・8500系の廃車が進行していたこの頃、譲渡車の動向を見に恩田駅に降り構内を撮影していると、交換の
無い時間帯にも関わらず、両方のホームに電車が入線するとの放送が流れて来ました。

期待しながらカメラを構え、ホーム先端で待っていると、案の定、お迎えに来たデヤ7200が登場です!!

そして恩田駅のホームでY000系と交換。やはりこどもの国線に2両編成の7200系は良く似合いますね。

久しぶりに古巣に帰って来たデヤ7200ですが、後輩のY000系とは一体どんな事を語っていたのでしょう?

やがて、一端恩田方に引き上げた後。

長津田工場の入出場線へと転線開始、この位置で一端停止すると

デヤ7200が切り離され、単行で工場内の留置線を長津田方面へ走行して行きました。

シャッターの開いた建屋の中には、これからドナドナされる秩父鉄道7000系7002Fの姿も見えます。

そして今度はデヤ7290が単行で動き出し、秩父鉄道7000系と連結!!

構内にはデキ3021やクハ1011とデハ1310、そしてクハ8001と今は亡き懐かしい車両達が居りますね。

すると、ゆっくりとした速度で秩父鉄道7000系を引き出し、恩田駅構内までやって来ました。

良く良く見ると、この頃はまだ前面上部にカメラが設置されておらずパンタグラフも菱形です。

分岐器の先まで牽引した後は、推進で工場留置線へと押し込まれデヤ7200と連結、翌日には長津田工場に
回送され、数日後秩父鉄道に向け旅立って行きました。

因みにこの写真、出発の標識の下にデヤ7200が居るように見えますが、まだ健在だったデワ3043です。
この頃の長津田工場は、譲渡車に様々な変化が有り、毎週通っても飽きなかったのを思い出しますね。

内湾線と六家線訪問

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すっかり掲載が遅くなってしまいましたが、昨年11月当時開業間もない六家線と、新しく生まれ変わった
内湾線を訪ね、新竹まで行って参りました。

台北から新竹までは、釣り掛け式EMU300系による自強113次に乗車です。

通過した事はあっても下車するのは初めての新竹駅、ホームに降り立ち周囲を見回すと、何故か不思議
な懐かしさを感じました。と言うのも、この駅の構成は一昔前の九州の地方都市の駅そのまんま!!

まるで母の田舎の大分駅に帰って来たかのような印象を受けました。
最近は高架化等で減ってしまいましたが、大牟田を始め今も九州にはこの手の駅が残りますね。

六家線の発車まで少し時間があったので改札を抜け、駅舎正面に向かいます。

日本統治時代に作られた優美なバロック様式の駅舎は現在も健在で、思わず見とれてしまいました。

六家行き区間車の発車時刻が迫って来たので、第3月台(ホーム)に向かうと。

六家線用にリニューアルされた韓国製のEMU600系が停車中です。この車両の導入により、西部幹線の
旧型客車が一気に置換えられ、”走るんです”ならぬ”走るニダ”と揶揄されたEMU600系ですが、ホロの
付いた厳めしい表情は、嫌いじゃありませんね。

早速車内に乗り込むと、車窓には新竹機務段で憩う機関車達の姿が見えました。

かつては台北から内湾線直通の復興号もあり、ここで電気機関車からディーゼル機関車に、わざわざ付け
変えていたとか、藍色の気動車や客車列車が活躍した時代の内湾線に一度は訪問してみたかったです!!

つづく


タマンミニ・インドネシアの謎な乗り物??

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ジャカルタ中心部から内陸部に向け約1時間程車で行ったところに位置するテーマパーク「タマンミニ
・インドネシア・インダー」ジャカルタ周辺では数少ない観光地の一つとの事で、2009年1月の訪問時
”アンチョールドリームランド号”を撮影後に訪問してみる事にしました。

アンチョール駅から流しのタクシーを拾い向かいましたが、幸運にもバンドゥン出身の陽気で親切な
ドライバーさんに当たり、英語・日本語・インドネシア語を交え、楽しく会話する事が出来ました。

「タマンミニ・インドネシア・インダー」の園内には、数多くのインドネシアを代表する建造物のレプリカ
が設置してあるとの事でしたが、ゲートを入ると早速インドネシア独立の塔”モナス”が姿を現します。

続いて園内にはこういった寺院を始めとした歴史的建造物のレプリカが次々と出現!!

これはプランバナンをイメージしたヒンズーの寺院でしょうか??

訪問したのは1月でしたが、日中はとにかく暑く無駄に広い園内を徒歩で歩くのは困難でしたので、
設置されていたロープウェーに乗り、車窓から眺める事に。

園内には大きな池が有り、遊覧船の姿までありました。

そんな中、気になったのが不釣り合いな高架線上を走行していたこの乗り物?

下から見上げるとモノレールかな?思ったのですが??

上空から見てみると、何やら不思議な雰囲気です。

一見、ゴムタイヤの新交通システムのように見えますが、高架橋の上には2本のレールが確認出来ました。
パっと見、近代的な乗り物に見えますが車内は何故か非冷房(笑)
果たしてどのような経緯で設置されたのか?軌条の期間は何ミリなのか?など興味深いところですね。

オマケ
パーク内には、インドネシアエアウェイズで使用されたこんな機体も保存されておりました。

そして帰国後、蒸気機関車も多数保存されていたと聞き、もっと見ておけば良かったと後悔しております。

タマンミニ・インドネシアの鉄道博物館の様子は、リンクさせて頂いている”おっとっと様”のブログ地味鉄庵にて
詳しく掲載されておりますのでご拝読頂ければ幸いです。
何時の日か、このテーマパークに歴史の一つとして日本からの譲渡車も展示されるようになれば嬉しいですね。

祝!!大井川鉄道6010系”しらさぎ”製品化決定

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かねてよりマイナーなローカル私鉄を中心に製品を展開している、鉄コレことトミーテック鉄道コレクション
シリーズですが、次回リリースされる第16弾の製品ラインナップには大井川鉄道6010系、北陸鉄道6000系
の”しらさぎ””くたに”のコンビが製品化されるとか!!!両形式共に大好きだった私にとって、まさに夢の
ような展開で喜んでおります。

そんな事で、今回は保存される直前の大井川鉄道6010系”しらさぎ”の様子を掲載致します。

廃車後、永らく千頭駅に留置されていた”しらさぎ号”ですが、2005年夏に故郷である山中温泉にて保存され
るため、久しぶりに新金谷機関区に帰って来ました。

その後、トレーラーによる陸送のため、大代川側線に移動。同僚だった6000系”くたに”を始め、役目を終えた
大井川鉄道で活躍した多くの車両達が最後に行く場所だけに、”しらさぎ”がこの場所に居ると、解体されそう
で何だか不安に感じます。

でも、この日の夜までにはトレーラーに積まれ出発し、無事故郷「山中温泉」への里帰りを果たしました。

”しらさぎ”といえば特徴的なのが、全く古さを感じさせない、この前面の曲面ガラスですが、

鉄道コレクションでは何処まで再現してくれるのでしょう??

オマケ
最近、台湾の阿里山森林鉄道では"しらさぎ号””くたに号”の親戚でもある”中興号”が復活したとか!!

同じ年代の日車製だけあって、デザインが少し似てますね。
この車両の模型も、台湾で製品化されれば面白いのですが(笑)

内湾線と六家線訪問 その?

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新竹から六家線の電車に揺られること約20分、六家線と内湾線の分岐駅「竹中」に到着。
ここで今まで乗って来た六家線から内湾線に乗り換えです。

六家線の新竹-竹中間は現在も内湾線の一部なのですが、殆どの駅が高架化され、ローカル線から
都市近郊路線に生まれ変わっておりました。

この竹中駅も高架化されており、本線から支線が分岐する雰囲気は南武線の尻手駅を彷彿とさせます。

まだ開業から間もなかったせいか、内湾線ホームの柱には全線開業を祝う文字が多数見られました。

竹中駅からは一気にローカルな雰囲気となり、20分程で最初の交換駅「竹東」に到着。

竹東といえば、9人の高校生達の切ない青春を描いた映画「九月に降る風」のロケ地としても有名ですね。
ロケに使われた「竹東高級中学」や、主人公たちの溜り場だった大きな樹も駅の近所にあるとか・・・・
次回はロケ地を探しに新竹・竹東を巡るのも楽しそうです。

その後、発車時刻になっても対向列車は姿を見せず?

何故か10分近く遅れ、やっと竹東駅に到着しました。

竹東を出発すると、段々と緑が濃くなり30分程で終点の内湾駅に到着。

最近の台湾ではローカル線を巡るのがブームだそうですが、この日は平日で雨だった事もあり人も疎らです。

内湾駅の駅舎は、台湾らしい石造りのシンプルなデザインが印象的ですね。

駅舎を抜けると本場の客家料理を求め「内湾」の街に繰り出す事にします。
台湾には中国語・台湾語に加え、ここ客家人達の言葉、客家語も存在するそうですが、果たして今でも
使われているのでしょうか??

鶴見線・扇町駅の猫達2004

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京浜工業地帯を走る鶴見線の終点”扇町駅”。現在は日中の列車本数も減り寂しい限りですが、
この駅には昔から沢山の猫達が棲んでおります。

103系の引退が具体化し始めた2004年のある日、ぶらりと訪問してみたところ、駅員さんの代わりに
1匹の黒猫がホームに現れ、改札を出るまで見送ってくれました。

改札を出た先にある、車止め付近にも猫の姿が(笑)

この駅の猫達は毛艶が良いので、きっとご飯を貰っているのでは?と思い、駅舎の反対側を見ると
JR○○・扇町駅の詰所の前には、カリカリが積まれた立派なネコ用の餌箱が置かれています(笑)
きっと心優しい鉄道員さん達に可愛がられていたのでしょう。

私鉄だった鶴見臨港鉄道時代の面影を残す、鶴見駅に憩うカナリアの103系電車。

かつては何処に行っても乗れる電車だったのですが、今や西日本地区でも少なくなってしまいましたね。
そう思うと、ジャカルタに渡った16両の仲間達が、末永く現役で活躍してくれる事を願わざるを終えません。

戦慄のジャカルタラーメン??

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小田急線相武台前駅から併走する道路を小田原方面に向け歩いて行くと、突如こんなお店が出現します。
その名も「ジャカルタ ラーメン」!!店頭には、インドネシアの国旗とバリ風の彫像の姿が・・・・

このお店、夜間のみの営業にも関わらず、その特徴的なメニューから密かな人気店になっているとか?

早速、店内に入ってみると、インドネシア人のお姉さんが笑顔で出迎えてくれました。

まだ早い時間だったせいか、まだお客さんは居らず、私一人のみ。

カウンターの奥には、バリ名産の木彫りのカエルも居ります。

看板メニューのジャカルタラーメン(ミークア)や、牛乳ラーメン(ミースス)などの他に、ボゴール駅で
お馴染のミーバッソまで有り、思わず目移りしてしまいますね。

そんな中、目に付いたのがディナースペシャルのお品書き!!

鶏の照り焼き丼(アヤムバカール)は、解るけど、バリ丼の(マサンカンバリ・日本語でバリ料理)とは
一体どんな物が出て来るのでしょうか?

興味本位にバリ丼を頼み、出て来たのは・・・・・

んんん???外観からして、インドネシア料理とは似ても似つかない、一見日本風な丼ぶりでした。

丼の上にはイスラム教徒の間は禁忌されている豚肉が・・・、と一瞬思いましたが、バリはヒンズー教徒なので
問題無いのかも知れませんね。恐る恐る一口食べてみると”エナック〜!!”馴染ある味でとっても美味しい♪

それもその筈、豚肉とキムチをサンバルソースで炒めたものが、このバリ丼の正体でした。
値段の割にボリュームも有り、大満足でしたが絶対にインドネシアでは遭遇しないこの料理、果たして
インドネシア料理と言えるのか微妙なところですね(笑)
他にも魅力的なメニューが盛り沢山のこのお店、暫くは通ってしまいそうです。

内湾線と六家線訪問 その?

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内湾駅にて下車後、雨の降る生憎の悪天候でしたが、撮影出来るスポットがないか?周辺を散策していると、
駅舎と反対側に、ちょっとした丘が有るのを発見。早速行って見る事にします。

ここからは駅の様子がバッチリ見下ろせた上、構内に生える椰子の木も入れて撮影する事が出来ました。

折り返し列車の発車時刻が近くなったので、徒歩で移動し山をバックに後打ち撮影。

カラフルにラッピングされたDR1000形の車体が、緑と見事にマッチしてますね♪

撮影後、再び駅向こうの丘の上を散策しているとこんな建物を発見。

この雰囲気からして、もしや日本時代の建物では?と思ったのですが、

案の定、日本時代に建てられた警察派出所でわざわざ解説のプレートまで掲げられておりました。

こうした施設一つとっても、史跡と認定し保管してくれる台湾の人々の心遣いには頭が下がりますね。

続いて内湾のメインストリート内湾老街へと繰り出す事にします。

雨の日の平日だけあって観光客も少なく、歩いている人もまばらでした。

老街を探索中、偶然こんな物に遭遇。

やっつけ感たっぷりのロバとドラえもんですが、サングラスが何とも不気味ですね(笑)

次回は、内湾で食べた本場・客家料理をご紹介致します。

京葉線103系最後の夜・・・

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2005年11月のある夜、友人MT氏から「スカイブルーの103系を乗り収めに行くぞ〜(^o^)ノ」との連絡が入り、
仕事のあとで東京駅へ、この日で最終運用となった103系に乗り蘇我まで1往復する事になりました。

京葉地下ホームに降りると、かつては毎日のように自宅に聞えてきた、あのブロワー音が轟きます。

クハ103の車内に入ると、白く塗装された吊り革受けが懐かしい未更新車でした。

子供の頃に乗った103系ATC車の車内は、とても綺麗で新しい印象だったのですが、
時代流れと共にすっかり草臥れてしまいましたね。

蘇我駅に到着後は、出発の時間まで113系と並びます。

かつては横浜駅で顔を合わせた両車、一体どんな会話をしていたのでしょう。

折り返し東京駅に戻って来た後、出発する103系を見送りコンコースを歩くと、

こんな看板が残っておりました。211系も撤退した今、全てが東京駅から姿を消してしまいましたね。

京浜東北線から103系が消えて来年で早15年、きちんとした形での保存車が無いのが悔やまれます。

そんな事もあり、ATC車2両を含むジャカルタに渡った仲間達が末永く活躍出来れば良いのですが・・

ゴンダンディア駅のB級グルメ!!

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ジャカルタ滞在中、宿泊していたホテルから程近いゴンダンディア駅には、沢山の駅ナカ店舗が有りましたが、
中でも圧巻だったのが、このレストラン!!

中央線のガード下で、夜になると何処からともなく出現し営業しておりました。

レストランというよりは屋台の様相で、食べているのも地元の人達ばかりです。

日本人の私にとって、ちょっとハードルが高く感じましたが、思い切って入ってみる事に!!
どう見ても屋台ですが、何故か立派なメニューが有り、とりあえず食べたい物をオーダーしてみました。

すると出て来たのがコチラ!!

エスティーマニス(アイスティー)ナシゴレンアヤム、ソトアヤムの3品。

具沢山で美味しそうなソトアヤム(鶏のカレー風味スープ)

味も文句無しに美味しかったです。

続いてナシゴレンアヤム(インドネシア風鶏チャーハン)

パラっとしたライスの仕上がりで、これまた絶品、3品頼んでも500円でお釣りが来ました(笑)
日本のインドネシア料理店で食べると2000円オーバーですね・・・・

毎晩のように夕食を食べていたこのお店、たまには代わった物を??と思い頼んでみたのがコチラ。

メニューにmie sayur(ミーサユル)書いて有ったので、タンメンのようなものを想像したのですが、
実際出て来たのは、スープパスタのようなものでした。でもこれが以外と美味しかった♪
次回訪問した際も寄ってみたいですね。

内湾線と六家線訪問 その?

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内湾駅に戻った後は、駅前続く老街を散策してみますが、人が少ない影響か開いているもお店も少なく、
少々寂しい感じです。

この日は人もまばらでしたが、きっと土日には、他のローカル線同様に賑わうのでしょうね??

老街を彷徨いながら進んで行くと、目的地である内湾戯院の建物が見えて来ました。

この建物、一見日本式家屋ですが、日本の統治が終了した後に建てられたものだとか??

かつては内湾で暮らす人達の一大娯楽施設であった映画館を改造したこの場所。

現在は内装もそのままに食堂として活用されております。

映画館の売店だった場所のそのままの形でお土産屋さんとなり、ショーケースの中には日本語で書かれた
昔の薬や、ブリキのおもちゃなどが展示されておりました。

席に座ると、早速メニューを持って来てくれたので、客家料理ならではの一品を頼む事にします。

まず出て来たのが”客家小炒”

筍と山菜を炒めた料理ですが、新鮮な筍の食感が絶品でした。

続いて"客家春巻"

パリパリな皮に具沢山な餡子、スイートチリソースのような甘辛いタレを付けて頂きます。

最後に"鶏湯桂竹筍”鶏と筍の炒め物ですが、これまた絶妙な味付け。

2人でこの量は少ないかな?と思ったのですが、予想以上にパオパオ(腹一杯)なりました。

食後、運動がてら周辺を散策してみると、お土産物屋さんが軒を連ねる”内湾新天地”には、

何故かグレムリンとスパイダーマン・キングコングが???
ん〜??この辺はあまり深く考えず、内湾駅に戻り帰りの列車に乗り竹中駅へと折り返す事にします。

長津田工場2005

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個性的だった入換車の引退後、訪問する楽しみが半減してしまった東急長津田工場ですが、2005年頃は
譲渡車両の動きも激しく、訪問する度に新たな発見が得られ足しげく通ったものでした。

現在テクノの建屋が建つ付近では、伊豆急向けの8000系改造工事が進行中。8049Fは8000系列譲渡の
試作車で、隣の車番の無い車両は8033か8035かと思われます。

子供の国線を跨いだ反対側でも8000系の改造工事中。今じゃ絶対に見られない光景ですね。

車番を見ると8034とマジック書きされているのが確認出来ました。

更に工場の終端部には、運用を離脱したばかりの8603Fの姿も。

既に幕類が抜かれ、長電向けの譲渡改造待っている様子です。

恩田駅の先端を見渡すと、見事なほどに8000系列の車両ばかり♪

長津田工場のマスコット、”カラス”ことデキ3021も健在ですね。

そして、デキ3021と共に永らく活躍した入換車達も旧色のまま健在でした。

ED301・デワ3043共に、この後で綺麗に塗り替えられたので、まだまだ活躍してくれるのでは??と確信して
いたのですが、僅か4年後に鬼籍入りしてしまったのが、残念でなりません。

ひっそりと姿を消したタンジュンプリオク線の電車

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昨年行われた白紙ダイヤ改正にて、ジャボダベック圏各線の運行形態の大幅な見直しが図られ、フィーダーと
いった各線を接続する列車の新設や、全列車がマンガライを経由するようになった環状線列車の運行変更など
各路線にて大きな変化が有りました。

そんななか、ひっそりと姿を消したのが、毎週末に運行されていた”アンチョールドリームランド号”を始めとした
タンジュンプリオク線に直通する電車達です。

以前、稚ブログでも紹介させて頂いたブカシからやって来た、8618Fの”アンチョールドリームランド号”

続いてボゴールからやって来た都営6000系の”アンチョールドリームランド号”

2009年のタンジュンプリオク線は、週末運転されるこの列車の設定しか無くかなり荒廃しておりました。

当時終点だったアンチョール駅は、道路との段差も無く廃駅同然でしたっけ。

タクシーのドライバーに行っても「そんな駅は無い」と言われ、散々迷いながら辿り着いたのを思い出します。

その後、2011年の正月に再びアンチョール駅に訪問してみると、長閑な雰囲気から一変。

線路と民家の間には高い塀が設置され、その上には有刺鉄線まで張り巡らされておりました。

廃墟同然だったアンチョール駅も高床ホームに生まれ変わり上屋も新設されるなど、余りの変化にビックリ。

でもホームの有効長だけは変わっていないようで、豪快にはみ出し停車しておりました。

またタンジュンプリオク線といえば専用車のように運用されていたのがこの車両、通称猫バスこと新6151F
は4連だった事もあり、よくブカシ-タンジュンプリオク間の運用に就いてましたね。

多彩な車両達が足跡を残したタンジュンプリオク線ですが、現在は電車に代わりDL牽引の客車列車の運行
に切り替えられたそうで、残念ながらこれら車両達の活躍する姿は過去帳入りしてしまいました。

でも架線設備が残存している以上、何時の日か電車の運転が再開されるのでは?と淡い期待を抱いております。
そうそう、タンジュンプリオク線といえば、コタとアンチョールの間で永らく行われているリハビリ工事が一向に終わり
ませんね?果たしてコタから直通列車が運転されるのは一体何時になる事やら・・・・??

内湾線と六家線訪問 その? 

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内湾の街で客家料理を存分に堪能した後は、六家線との分岐駅である竹中へと戻る事にします。

折り返し乗った復路の列車も、往路と同様にガラガラでした。2両編成では輸送力過剰かも??

竹中駅の先端に行ってみると、六家を発車した新竹行きの列車が接近中。

内湾線の到着に合わせ、六家線が接続するダイヤがきちんと組まれておりました。

高架の竹中駅からは、六家を出発してホームに入線する様子がバッチリ見えます。

更に運が良ければ、新幹線とのコラボレーションも見れたのですが・・・・

内湾線の発車時刻が近づくと、新竹方面からも六家行き電車が到着しました。

西部幹線の遅れを引きずってか?若干の遅れを伴い入線して来ましたが、内湾線もそれに接続する
ため少々遅れての出発となります。

無事、接続が行われると内湾線の列車が出発。

高架線から地上に降りる部分で、新幹線とのコラボを狙いましたが、僅か数秒差で撮れませんでした。

雨足が再び強くなって来た頃、内湾線とは接続しない六家行き電車が到着。

せっかくなので、これに乗って新幹線との接続駅”六家”を見に行く事にします。

つづく
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