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Channel: Kereta dan Kucing
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初夏の台湾訪問

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今日の東京は6月とは思えないほど寒い1日となりましたが、台北は既に真夏の陽気です。週末は先月に続き
台湾に訪問して参りました。金曜の夜に到着し、月曜の早朝出発する忙しいプランとなりましたが、燃料サー
チャージ等・諸費用込み25000円の激安航空券では文句も言えませんね(笑)

今回は久しぶりに十分駅に訪問、多くの人達で賑わう併用軌道の様子を撮影する事が出来ました。

十分駅に行った後は、台湾きっての秘境駅である三紹嶺駅で途中下車。

ここでの撮影は相変わらず迫力満点ですね・・・・

そして、新車製造中の噂を聞き?とりあえず訪問してみた新竹駅近くの"台湾車両"では、こんな車両に遭遇!!

台鉄と併走する試走線で行われていた謎の試験、パンタグラフが積まれた怪しげな台車が不気味でした。

因みに滞在していた週末の台北の気温は平均33℃、なので日中はあまりの暑さにバテバテ・・・・
詳細は追って掲載させて頂きます。

ミャンマーに渡る気動車達

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JABOTABEKへの東急車譲渡が盛んだった2007年のある日、8039Fの様子を見に川崎市営埠頭に行って
みると、何やら見覚えのある気動車が突如出現しておりました。

※この当時は、市営埠頭内で撮影していても保税区域にさえ入らなければ問題無かったのですが、
現在は撮影どころか市営埠頭内への立ち入り自体が厳しく制限されており、無断侵入した場合、
不法侵入とみなされ警察に通報されるケースもあります。

盛岡からやって来た赤鬼色のキハ52。

はるばる東北から甲種回送で運ばれて来ました。

そしてお隣には、わざわざ北海道から船で運ばれて来た、ちほく高原鉄道CR70形も

この車両達の車号を見てビックリ、なんと私が前年に、ちほく線に訪問した際、乗車した車両でした。

撮影の数カ月後、これら車両達は無事ミャンマーへ向け旅立って行きましたが、果たして現在も活躍
を続けているのでしょうか?何時の日か彼の国で、もう一度CR70形に再会してみたいところですね。

プラザインドネシアのファットバーガー

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ジャカルタ滞在中インドネシア料理も飽きて来たので、たまには他の料理を食べる為に、スディルマン
通り沿いに有る大型ショッピングモール、プラザインドネシアまで移動してみる事しました。

この周辺はジャカルタの目抜き通りという事もあり、整備も行き届きインドネシアに居るとは思えません。

大戸屋や無印良品、モスバーガーなどが有るモール内で美味しそうなお店を探していると、日本では
馴染みの無い、こんなファーストフード店を発見しました。

その名もFATBURGER(ファットバーガー)??

価格はどれも高く、セットメニューだとミーアヤムが10杯位は食べられそう・・・・・
まあ、それでも折角なのでオーダーしてみる事にします。

すると10万Rp(約1000円)だったXXLファットバーガーセットはこんな感じで出て来ました。

一見すると大した事ないように見えましたが、分厚いハンバーグが2枚挟まり中々のボリュームです。

ポテトもカリカリで美味しい!!このお店、私は全く知りませんでしたが、アメリカでは有名なチェーン店
だったようですね??デイリークィーンやA&Wなど日本に無いファーストフードが楽しめるのもインドネシア
ならでは?ナシゴレンに飽きてきたら、この辺のファーストフードが重宝しそうですね。



台湾車両製・桃園機場捷運の車両を目撃!!

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今回の台湾訪問時、日中はあまりに暑かったので、偶然やって来た釣り掛け式EMU400形の区間車に乗車し、
新竹方面に向かってみる事にします。途中、新豊駅付近にある台湾車両の様子が気になり、車窓から注意深く
眺めていると、思わぬ光景が飛び込んで来ました。
何と、台鉄と併走して桃園機場捷運の車両が走っています!!慌てて新豊駅で下車し、台北方面に徒歩で
戻り試験線と併走する場所を探しますが、線路沿いには商店が立ち並び、入れそうな場所が見つかりません。
これはダメか・・と諦めかけていたところ、台湾中油公司のガソリンスタンドが線路沿いに出現し、ここからなら
何とか撮れそうでした。

用も無いのにスタンドに入り、恐る恐る、スタッフの人に「ここから列車を撮って良いですか?」と訪ねてみた
ところ、以外にも「どうぞ〜」と快く承諾してくれたので、お言葉に甘える事にします♪

スタンドと線路の境界にある生垣に登らせて頂き、様子を伺ってみたところ、MRTのパンタは閉じたままの
状態ですが、何故か?尾灯や車内灯は点灯し、車内で何やら作業が行われている様子でした?

台鉄の車両と擦れ違わないないかな〜?と思っていたところ、丁度台北方面行きの自強号が通過。

営業開始後は絶対に顔を合わせないであろう両車が、ほんの一瞬の邂逅です。

その後、パンタグラフを上げて試運転をするのでは?と期待して待ってみたのですが、この後でアントらしき
車両に牽引され台湾車両の工場内に引き上げてしまいました。

今年の年末、いよいよ第一期区間である桃園飛行場第一ターミナルと高鉄桃園間が開通する桃園機場捷運
ですが、来年には台北捷運新蘆線と接続する三重まで開通し、再来年には台北駅まで直通開始予定です。

更に中歴までの全区間が開通すると、飛行場へのアクセス以外にも台北とベットタウンへを結ぶ路線として
大いに活躍しそうですね。そして海外から訪れる私達にとっても、台北の街がぐっと近くなるかも・・・


北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の想い出

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前回、ミャンマーに向かう北海道ちほく高原鉄道CR70形の写真を掲載致しましたが、このふるさと銀河線には
廃止の直前、2006年の4月19・20の両日に訪問しておりましたので、ご紹介致します。

早朝、羽田を出発する飛行機に乗り、網走空港からバスで北見の街へ!!北見駅に到着後は撮影地をロケハン
しながら、お隣の北光社駅まで徒歩で向かう事にします。すると突如こんなモノが出現!!

個人の方の所有物のようですが・・・土地が広い北海道だけあってコレクションのスケールも桁外れですね(笑)

線路沿いの道を歩いて行くと、北海道ちほく高原鉄道の検修施設が見えて来ました。

建屋の外には既に廃車となり、部品取りとなったCR70-4号車の寂しい姿を晒します。

同じく廃車となったCR70-5号車も連結され放置中ですが、こちらは前面窓ガラスすらありません・・・

この2両は廃線後も暫く放置されていたようですが、果たして現在はどうなっているのでしょうか??

やがて1時間程歩いて、北見駅のお隣の北光社駅に到着。

いかにも北海道らしい風景を行く置戸行きの列車を撮影出来ました。

次の北見行きの列車まで、かなり時間が有りましたので、ホームの周辺で時間を潰していると、近所の方
から声をかけて頂き、何と北見駅までわざわざ車で送って下さいました。

そのお陰で、本来なら乗る筈だった北見行きの列車が撮影可能に♪
この後、このCR70-2号車に乗って北見から池田までの長い道のりを往復する事にします。

韓国・鉄道博物館の保存車達

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ちほく線のデータを探しHDを漁っていたところ、2005年に訪問した、こんな所の画像が出て来ましたので
掲載致します。ソウルから首都圏電鉄線に乗って約1時間弱、韓国の鉄道博物館も日本の大宮同様に
首都から少しはなれた場所にありました。

私が持っていたガイドブックには「富谷駅下車」と書いて有ったので、この駅を探すも見つからず一瞬焦り
ましたが、それもその筈、何と私達が訪問した前年に「富谷駅」から「儀旺駅」という駅名に改名されていた
そうで、やっとの事で「儀旺駅」に到着すると、線路沿いに暫く歩き鉄道博物館の入口へ向かいます。

500wと格安な入場料を払い、園内に進むとまずはムグンファ号塗装のピドゥルギ号用客車がお出迎え!!

その先に留置されていた9601形気動車は動態保存されているそうなのですが、訪問時は故障中との事でした。

持参したガイドブックには「ナローの水仁線用の気動車が動態運転されている」と書かれていたのですが、
現在は標準軌のこの車両が動態となり、残念ながらナローの気動車は静態保存となってしまった様子です。

続いて展示ゾーンに向かってみると

まず、鮮鉄こと朝鮮鉄道で活躍した日本製のミカ3型蒸気機関車161号機が保存されております。

そのお隣には、先ほどの9601形気動車と同型と思われる日本製気動車が展示されておりました。

韓国の気動車というと、この東武6000系顔の車両がまず思い浮かびますね。

そして、この時に訪問した最大の目的、搬入したばかりだった「初抵抗」こと1000系電車1001号車です。

子供の頃から一度は見てみたかった、横須賀線色した301系モドキを実際に、この目で見れ感無量。

初抵抗車は先述した1001号の他に、中間電動車の1315号と先頭車1115号の3両が展示中です。

スカ色に復元された1001号とは異なり、1315号と1115号は引退時のカラーリングのままでした。

この前年の2004年、友人MT氏のお陰で、引退ギリギリで何とか乗車する事の出来た1000系初抵抗車達。
当時は全車廃車解体だろうと?思っていたので、保存車に再会出来た時はとてもうれしかったですね。

こんな記事を書いていると、久しぶりに韓国に行ってみたくなりました(笑)

ジャラン・ジャクサの猫達

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ジャカルタの安宿街、ジャラン・ジャクサには、旅行者向けの安くて美味しい食堂や屋台が軒を連ね
ます。但し目抜き通りであるスディルマン通りに面しているため、駅からは少々遠いのが難点でした。

この周辺は、ハンバーガーショップや外国人向けのバーも有り、イスラム国家のインドネシアでは
珍しく、昼間っからビンタンビールが飲む事が出来ます。

たまたま路肩に出店していたインドネシア料理の屋台を眺めていると、テーブルの下から細い三毛猫
が舌なめずりしながら登場(笑)

どうやら屋台のお客さんからアヤム(鶏)の骨を貰ったようで、とても満足そうな表情でした。

更に椅子の下には、もう1匹トラ猫が居ります。

何かを狙っていた様子なので、視線の先を見てみるとトンボの姿が(笑)
1月でもトンボが飛んでいるのが、熱帯の国ジャカルタらしいですね・・・・
それにしてもジャカルタの猫は、どれも細い!!


最後に余談ですが、先週・我が家の猫が天国に旅立ちました。

享年15歳、晩年は悪性腫瘍に蝕まれ右目を摘出するなど、最後まで必死になって病気と闘い、頑張
って生き抜いてくれた事に、今は心から感謝しております。

謎の火車寿司?大車輪に潜入(笑)

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昨年夏の訪台時、ちょっと気になりつつも、入る勇気のなかった西門街の日本料理屋さん"大車輪"
きちんとした鉄道模型がお寿司を運ぶ、その奇抜さには仰天させられました。

いつか行ってみたいな〜と思いつつも、なかなか行く機会が無かったこのお店、SPK先生とカルフール
で買い物をした帰り、たまたまお店の前を通ったので、思い切って入って見る事にします。

店内に入ってみると多数のお客さんがおり、なかなか繁盛している様子でした。

しかし、貨車に積まれ走り去る料理を見ると、中には日本人として思わず突っ込みたくなる物も(笑)

席に案内されると、カウンターの前には板さんも居り、日本の回転寿司と何ら変わりません。

そして、メニューを持って来てくれた小姐は、完璧な日本語で応対してくれました♪

懸命に頑張るLGBのコッペル。ぼ〜っと眺めてみると、ついつい皿を取り損ねてしまい・・・・

なので板さんに言って、食べたいネタを適当にオーダーする事にします。

オーソドックスなマグロやエビの握りのアラカルトをオーダーし、巻き寿司も頼んでみたところ

天ぷらやとんかつの巻き寿司まで有りました(笑)
ちょっと足りないかな?と思いつつも、ネタは新鮮で味も日本とほぼ変わらず、大満足だったのですが・・

最後に会計をしてビックリ!!
値段も見ずに適当に頼んだら、何と2人で1400NT$(日本円で約4000円)もかかってしまいました。
きっと台湾の人達にとって、まだお寿司は高級料理なのかも知れませんね。

最後に、気にはなったけど頼まなかった”沙朗東京焼き”これは一体どんな料理だったのでしょう??

北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の想い出・その?

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置戸方面から北見駅に到着した列車は、CR70-2とメーテルのラッピングが施されたCR75-2の2両編成。
折り返しの池田行きの列車も、てっきりこの編成が充当されるものと思っていたのですが、

乗客の降車が終了すると、何故か車両を切り離し入換作業が開始されました。

切符を買い改札を済ませ、ちほく線ホームを見てみると、池田行きの列車は普通のCR-70型に変更。

メーテルを期待していただけに少しガッカリしましたが、廃線後に数奇な運命を辿ったCR70-6号車と、
川崎でまさかの再会を果たしたCR70-2号車が充当され、後々で考えると不思議な巡り合わせでした。

北海道らしい平原の中をひたすら走り続ける地北線、北見駅を出発して約2時間強で本別駅に到着。

使用されていない側線の伸びる広い構内を見ると、往時の賑わいが偲ばれますね・・・・

そして北見を出発して3時間後、列車は終点の池田駅に到着しました。この駅は1994年に初めて北海道
に旅行した際、まっ暗闇の駅舎内で夜行の「おおぞら14号」を待った、想い出の駅でも有ります(笑)

改札を出て、車内で知り合った新聞社のお姉さんと駅前で温かいコーヒーを飲みながら一服!!
窓口で、折り返し北見行きの切符を買おうとしたところ「北見行きは1分後に発車だよ〜」と言われ
ビックリ!てっきり18時10分発かと思っていたら、何と01分の発車でした。窓口の方が運転手さんに
連絡してくれたため、何とか間に合いましたが、発車を1分も遅らせてしまい申し訳なかったです(汗)

池田を発車した列車は、駅に止まるごとに学校帰りの高校生が乗り込み車内は満員に、新聞社のお姉
さんが、廃止に際し学生さん達へのインタビューを行っていたので、一緒になって聞いていると「列車が
廃止されると、冬場の通学はどうなってしまうのか?不安で仕方ない」と、答えていたのが印象的でした。
廃止から7年が経った現在は、この地域の過疎が更に進行しているのではないか?と心配になります。

やがて列車は陸別駅に到着!!ここで殆どの学生達は降りてしまい、再び車内は静寂に包まれました。

そして20時55分、定時丁度に北見駅に戻って来ると、また慌ただしく入換・解放作業が行われ、切り離
された車両は折り返し置戸行きとして出発して行きます。

この時間にも関わらず車内は満員で立ち客も居り、翌日に廃止されるとは到底思えない程の賑わいでした。

次回は廃止当日の様子をお伝えしたいと思います。

ジャカルタの通勤電車を取材した番組

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明日、22時より放送されるバラエティー番組「その後」にて、インドネシアの通勤電車を題材にした
VTRが放映されるとの事です。気になるその内容ですが、ヤフーテレビ欄の番組内容によりますと
「(5)ジャカルタ市民大迷惑!東京の中古電車が起こした超危険事態に鉄道会社が悪戦苦闘?

と書かれてありますが、果たしてこの意味は一体???

何はともあれ、ジャカルタで活躍する通勤電車達が、一体どのような姿で登場するのか楽しみですね。
稚ブログも僅かながらですが、この番組に写真の提供をさせて頂きました(笑)


里帰りしたコッペル527号

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かつて西武遊園地とユネスコ村を結んだ山口線、西武鉄道が経営するナロー路線で尚且つ現役蒸気が
走る路線としても注目されましたが、私が初めて西武遊園地に訪問した数カ月前に廃止となり、ほんの
僅かなタイミングで乗る夢は叶わず、廃線跡を見て子供ながら茫然とした苦い思い出が有ります。

そんな山口線の廃線後、西武遊園地内のレストランに保存されていたコッペルの1両が数年前、故郷の
台湾に里帰りを果たしました。今年2月の訪問時、そのコッペルを一目見ようと辿りついたのコチラ。
当時高雄の豪商だった陳中和氏が建てた回廊式の洋館を利用した、大正9年製の(財)陳中和記念館です。

高雄にあるこの施設、公開日は毎月数回しか無く当然の事ながらこの日も閉館です。

仕方なく高雄駅前で借りた原付のシートに立って、塀越しに覗いてみると、居りました。

日本で保存されていた頃よりも美しく整備されているようで嬉しい限り♪

塀の隙間から機関車の側面を良く見てみると・・・・

西武の社紋が残っているばかりか、日本から旅立つ時に貼られた”惜別・感謝”の文字もそのまま。

館の外で撮影していると偶然にもスタッフの人が通りがかり、SPK先生が流暢な台湾語で訪問した旨を
伝えると、何と特別に中に入れて頂ける事になりました♪

こちら側は西武時代のナンバー・社紋が撤去されている代わりにオリジナルの糖鉄のプレートが復刻
され、立派な解説のプレートまで設置されております。欲を言えばもう一度、煙を吐いて橋頭製糖辺り
の観光路線で活躍してくれれば言う事ないですね。

祝!!赤い貴公子KATOから製品化

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昨年銀座線01系をリリースして以来、怒涛の勢いで製品化が続く、KATOのNゲージ東京メトロシリーズ
ですが、次回作はいよいよ営団地下鉄時代の丸ノ内線300・500形が製品化されます。
私も製品化発表以来、発売を心待ちにしていたのですが、今月に入り試作品の画像が発表されました。
画像を見る限り、"赤い電車"の特徴を忠実に再現しており、今から発売が楽しみですね♪

製品化を記念して、300・500形が最後の活躍をしていた1997年の方南町支線の写真をご紹介致します。

最後まで残った3編成の内、この656号からなる編成は中間に唯一残された300形304号を挟んでおり
当時、MT氏と共に最後まで追っかけた編成でした。

荻窪寄りの先頭車は637号、方向幕左右に残るマーカーランプ跡が特徴です。

この時はMT氏と共に人の少ない早朝を狙い、わざわざ初電で出動しました。

中野富士見町駅を出発する656号、構内に轟くコンプレッサーの音が、未だ耳に蘇ります。

そういえば昔の丸ノ内線は、こんな薄暗い駅ばかりでしたね。

そして丸ノ内線300・500形最後の日、方南町支線用の3連が2編成組成され、最後に本線を走りました。
イベント告知のため、駅構内に掲示されたポスターにはサインカーブをバックに「さようなら赤い貴公子」
「グラシアス!!ブエノスアイレスでまた会いましょう」と書かれ、ファン以外からも注目を集めましたっけ。

この日、御茶ノ水の聖橋は多くのファンで賑わっておりましたが、私は幼少の頃に良く連れて行って
貰った昌平橋から、聖橋と神田川、総武線の黄色い電車を入れ撮影してみました。

黄色い電車の103系も丸ノ内線500形の遠く離れた異国で、今なお現役かと思うとなかなか感慨深いもの
が有りますね。何時の日か彼の地に行った赤い貴公子達に再会してみたいところです。

8039Fジャカルタ2回目の全般検査出場

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本日は、都内某所にて鉄道模型のイベントが有り、私も友人達と出展させて頂き、コレクションの余剰品
を処分すると同時に、ブースの一角にて海老風雷様が製作された、「JARITA」こと8613FとKAI標準カラー
の8500系を参考展示させて頂いたのですが、立ち止まって見て行かれる方も多く反響の多さには驚きました。
また本日は西船junctionどっと混むのPierre2427様やポレポレ日記のヤマシタ様にも久しぶりにお会いする
事が出来、色々な情報をお聞きすると同時に最新情報まで教えて頂き、有意義な一時を過ごせました事
お礼申し上げます。

さてPierre2427様が先々月にジャカルタにご訪問された際、デポック電車区で全般検査を受けていたとの
お話を伺った東急8000系8039Fですが、ボゴール電車区にお勤めのSさまの情報によると、先月中頃に
出場し営業運転に復帰したとの事です。

気になる今回の全検ですが、色自体は変わり無く前面帯の太さが少し広がった他は変化が無いようでした。
(写真は全検前の様子です。現在の両先頭車には、女性専用車マークが・・・涙)

しかし、残念な事にクハ8039・クハ8040共に方向幕が完全に現地仕様のものと交換されてしまったようで
往年の東急時代の"赤急行"や、最晩年の"みなとみらい線直通幕”は全て失われてしまったとの事です。

特にクハ8040は投石により方向幕のガラスも破損し、方向幕自体もボロボロに破損してしまってましたので、
致し方ないかと思いますが、馴染み有る行き先が見れなくなってしまったのは、やはり残念でなりませんね。

基隆廟口夜市グルメ!!

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台湾の海の玄関口、基隆で毎日行われている名物夜市”廟口夜市”台北の夜市に比べ、食べ物の屋台が
多く、海が近いだけに新鮮な海産物を使った料理が盛り沢山でした。

訪問した日は生憎の雨でしたが、アーケードの下にお店が有るので濡れる心配は有りません。

基隆廟口夜市といえば、やはり名物なのが天婦羅!!

名前こそ日本の天ぶらと同じですが、

こちらの天婦羅はさつま揚げのようなものです。

甘辛いソースをかけて頂くのですが、出来たてアツアツで激ウマでした。

そしてもう一つの名物が“油飯”こと「おこわ」

店頭では次々と炊き上がる”おこわ”を、おばさんが手際良くかき混ぜて行きます。

“油飯”という割には、チャーハンのように油っこくなく、至ってシンプルな”おこわ”です。

お米の食感がモチモチで、これまた絶品♪

そして”おこわ”と並んで絶品なのが、蟹スープ。

蟹爪の身と海藻と筍が入り、とろみがあってこれまた美味しい♪
台北からは少し離れていますが、これら料理の味が忘れられず、ついつい足を延ばしてしまいますね。

いつもこの3品を食べるとお腹が一杯になってしまい、他の料理が食べられなくなってしまいますので、
次回はもう少し別の屋台料理も開拓してみようかと思います。

惜別!!総武流山電鉄”青空号”

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2004年のつくばエクスプレスの開業により乗客を奪われ、ここ最近はすっかり元気が無くなってしまった
流鉄こと、元の総武流山電鉄・流山線。2連の新車5000系を西武から積極的に導入する一方で、3連の
「流馬」「明星」「流星」「若葉」が相次いで引退するなど、実情に合わせた世代交代が進みました。

総武流山電鉄というと、5.7キロしかない路線規模の割には車両の保有両数が多く、カラフルな車両達が
総動員される平日朝は、大手私鉄顔負けの過密運転で車内も超満員だったのですが・・・

その後、3連の引退が一段落したので、暫くは大きな変化は無いだろう?と思っていた矢先に、今度は
2連口の「青空」が7月15日をもって引退するという?またまた寂しいニュースが流れて来ました。

「青空」と言えば、流山電鉄初の冷房車で、側面に大胆なNをあしらった最初の編成でしたね。

「なの花」と一緒にワンマン化対応工事を受け、行き先もLED化されていた「青空」

ここ最近も運用に就く機会が多かっただけに驚きを隠せません。

「青空」の車内に一歩入ると、そこには一昔前の西武電車の雰囲気がそのまま残っており、色褪せたピン
ク色の化粧板に、懐かしいAK-3型コンプレッサーなど80年代の西武電車の魅力が凝縮されております。

401系譲りのオールM2連ならではの力強い走りも健在でした。

ワンマン化準備のため流山検車区で整備中だった「なの花」と並ぶ「青空」。

「青空号」引退後、また5000系が増備されるとは思いますが、新たな5000系が到着した時点で、
「なの花号」も命脈尽きてしまうかも知れませんね。

昨年夏、フィリピンに旅立つ203系マト55編成を見送るように偶然並んだ「青空」。

7月15日に行われる引退のイベントには行けませんが、最後まで事故無く活躍してくれる事を願っております。
そして最盛期は2連3本・3連4本の18両が在籍した総武流山電鉄も、この「青空」引退後は在籍車両が2連4本
僅か8両のみとなってしまうのは寂しい限りですね。

8610F全般検査出場

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リンクをさせて頂いている”Krenasa8039様”から情報によると、全般検査入場をしていた東急8500系8610Fが、
数日前に出場したとの事です。早速詳細をレポートされた、氏のブログを拝読してみると、7月4日にデポック
-マンガライ-ボゴール-デポックの間で試運転が行われたとの事でした。

今回の全般検査では前面帯が太くなった他、シートが張り替えられ、女性専用車のシートは赤になったそうです。
更に不思議な事にデハ8710の吊り革が都営6000系や国鉄時代の103系でお馴染の"ミカミ製オニギリ形吊り革に
何故か変更されたとか・・・・??ん〜相変わらず訳のわからん改造をしてますね(笑)

さてYopei様の”JABOTABEK RAILNEWS”の閉鎖以後、ジャカルタからの定期的なレポートが途絶えて久しいです
が(その後、滞在されていた209kei様が発信されていたブログJABOTABEK鉄道ランドは、不定期ながら203系の
入線など私達の知りたい貴重な情報を現地から沢山伝えてくれましたね)、そしてこの度、私も良くお世話になった
日本人レールファンの”パクアン急行様”が、明日よりお仕事で現地に赴任される事になりました。

既にブログは開設されており、今後は順次現地の情報を発信して頂けるそうですので、最新の譲渡車情報や、
彼の地で活躍中の車両達の動向等、要注目ですね。

稚ブログからもリンクさせて頂きますので、どうか宜しくお願い致します。
以下"パクアン急行"様のブログJABODETABEK COMMUTERS NEWSです。

麻豆糖廠の保存車

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今年3月の訪台時、SPK先生と共にレンタカーで台南方面の観光糖廠巡りをしてみたのですが、
その際、道路を走行中に偶然辿りついた”麻豆糖廠”に少しだけ寄ってみました。

操業停止後「ナンイン総爺文化園」として文化施設に生まれ変わった”麻豆糖廠”
日本時代は明治製糖総爺工場と呼ばれていたそうです。

入口を入って直ぐのところには、由緒有りそうな赤レンガの建物が見えて来ます。

これは何と現在の「大日本明治製糖」の前身である、明治製糖株式会社本社旧庁舍との事です!!
時間が無くて中まで見れなかったのが何とも残念・・・

赤レンガの建物の前には、糖鉄で活躍した蒸気機関車も保存されておりました。

348号、車体の銘盤を見るとベルギーAFB社製で製造された車両だそうです。

一応屋根付きで厳重に保存されておりましたが、車体には錆びも浮き、他の製糖工場に保存されている
車両達に比べると状態はあまり良く有りません。

かつて明治製糖は製糖鉄道である隆田線・北門線の両線を運営しており、佳里と台鉄・降田駅を結んで
おりました。なので隆田線の中間で本社のあった麻豆糖廠は、中心駅だったのかも知れませんね??
しかし残念ながら、この車両以外に製糖鉄道の痕跡を見つける事は出来ませんでした。

そして、こんな京風日本家屋も丁寧に保存されております!!当時は社員クラブとして使われたこの建物、
現在は木造案内所として活用されているとの事でした。

こうした日本時代の建物が、美しい状態で大切に保存されているのは嬉しい限りですね。
時間があれば、もう少し園内をゆっくり見たかったのですが・・・・・

オマケ

麻豆糖廠を出て、道路の向かい側に空地が有ったので、もしや線路跡か??と思い捜索していると、
怪しげなトーチカらしきモノに遭遇しました(笑)

総武流山電鉄・釣り掛け車引退の頃・・・・

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いよいよ引退を1週間後に控えた「青空」号ですが、流鉄では以前より引退する車両に対し、ささやかな
装飾を施し送り出すのが通例でした。しかし引退時期に関しては、現在のように事前に告知される事は
無く、初代「なの花」や「流馬」が平日の運用を最後に、突如引退し焦ったのを思い出します。

1999年2月に引退した「流星」号、この時は西武から101系が譲渡されるとの情報が入り「流星」か「若葉」
がのどちらかが廃車となるのは確実でした。でもボロボロだった「若葉」より状態の良かった「流星」が先に
廃車になると聞き、当時は驚きましたね。

引退前日に「さよなら」の文字が車体に入り、翌朝のラッシュ時運用を最後に引退となりました。

続いて1999年6月に引退した「若葉」号、こちらは1200系最後の編成とあって、西武時代のカラーリング
をモチーフにした、前後で異なるデザインのヘッドマークも製作されました。

3連釣り掛け車の中で最後まで残った「若葉」号の晩年は、何故か前面しか塗装が補修されず、側面の
塗装は退色が著しいままで、まさに満身創痍といった状態だったのを思い出します。

そして2001年5月、最後の釣り掛け車「あかぎ」号の引退の日、この時は事前告知が行われ、流山駅で
撮影会も開催されましたので、多くのファンで賑わいました。

でも今までの引退とは異なり、この「あかぎ」号の代替新車の入線は無く、今思うと、この頃からTX開業
に備えた合理化の一環として、保有車両の減車が開始されていたのかも知れませんね。

その後、2000系2代目「流馬」号の引退までは撮りに行きましたが、あまりの人の多さに甲醒めしてしまい、
以後の2000系「明星」3000系「流星」「若葉」の引退イベントは結局行かず仕舞いです。

来週は「青空」号も趣向を凝らしたヘッドマークを付けて貰い、沢山の人達に見送られて行くのでしょうね。

プアサ(断食)明けの夜ご飯

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イスラム教徒の多いインドネシアにおいて、少々厄介なのがラマダーンの月、今年は7月20日から8月18日まで
がラマダーンの月となりますが、この期間中太陽が出ている間は、プアサと呼ばれ全ての飲食・喫煙を絶つ事
がイスラム教徒の義務となります(妊婦や病人・重労働者などは除外されるそうです)。
2010年の夏に私が訪問した際は、丁度この時期と重なってしまい、当初、私は仏教徒なので関係無いや!!
と思い、電車を撮影中こっそり隠れてお水を飲んでいたところ、通りがかりの鉄道局スタッフの人に見つかり、
笑いながら「今はプアサだぞ〜」と言われてしまいました(笑)

KRLマニアの友人達もきちんと守り断食をしていたので、私も1日だけ体験してみる事にしてみました。暑いジャ
カルタで朝から飲まず食わずで過ごすのは予想以上に体力を消耗し、フラフラになりましたが、KRLマニアのA君
P君と共に日没の時間をカウントダウンし、断食開けと同時に飲んだ冷たいお水は最高に美味しかったです。

その後、P君のお父さんが「折角断食してくれたのだから」と車で夜ご飯へ連れて行ってくれました♪

昼間はカーテンが掛けられ、静まり返っていた飲食店も日没と同時にいつも以上に盛況となります。

まずは店先に置かれたショーケースの中から、食べたいメニューを選択するのですが、

極限までお腹が空いていたので、どれも美味しそう♪目移りしてしまいました。

席に付くとまず運ばれて来たのがこのジュース、何やら毒々しい色をしてますが・・・

一口飲むと・・・・恐ろしく甘い!そしてヌルい!常温保存しているかき氷のシロップを飲んでいるかのよう。
でも、胃袋を驚かせないよう、これを飲んでからご飯を食べるのだとか!!

続いて運ばれて来たのは葉っぱに巻かれたオニギリらしき物??チマキみたいですね。

メインディッシュが運ばれて来る前でしたが餓えていたので、そのまま頂きます。
葉っぱの香りがご飯に染み込み、おかず無しでも充分いけました。

そしてお待ちかねのメインディッシュ登場!!テンペにアヤム(鶏)にサユル(野菜)の盛り合わせ。

自家製のサンバルに付けながら食べたこれら料理は、どれも美味しく忘れられない味となりましたね。

実は万が一の非常事態に備え、日本から持って行ったカロリーメイトとポカリスウェットをカバンの中に
潜めてましたが、断食をしたこの日は、食べずに何とか過ごせました。

因みにこの翌日からは、日中もこっそり隠れて飲食していたのですが、ファーストフード店等は普通に
営業しておりましたし、コンビニでジュース等の購入も可能です。但しファーストフード店を除き、この
時期、人前での飲食はお薦めしませんので、今月末から来月に行かれる方はどうかご注意下さい。

新港鉄路公園の渓州牌DL

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かつては台湾中部から南部にかけ、網の目のように張り巡らされて台湾製糖鉄道ですが、最後の旅客
輸送を行っていた嘉義-北港間が廃止され今年で30年が経ちます。今年2月の訪台時、虎尾製糖へ訪問
した後、少々時間が有りましたので、公園として生まれ変わったかつての新港駅へ訪問してみました。

街中に突然現れる公園は緑に包まれ、かつての駅構内を利用したとは思えません。

細長い公園は通りを挟んで2ブロックに分かれており、こちらのエリアにはDLも保存されております。

新港駅の廃止後、荒れるがままに放置されていたこの場所は、地元の有志や社団ボランティアの方々
の手によって整備され、この見事な鉄道公園に生まれ変わったとの事でした。

保存されている車両も、DLだけでは無く編成で保存されているのが素晴らしいですね。

DLの窓は開けられ、今にも警笛を鳴らし走りだしそうです。

1950年代にアメリカBrook-Village社で50両が製造された渓州牌DLの内の1両である935号、公園が
作られる際に虎尾糖廠から保存のため、この地にやって来たとの事でした。

帰国後調べてみると、何とこの車両が保存されたのは2001年9月、屋外で常時開放されている割には
部品の欠落も無く保存状態も良好です。きっと地道に保守管理されている方が居られるのでしょう!!

機関車の後ろにはフラットカーが2両連結されておりますが、こちらもピカピカ。

現役で活躍中の虎尾の貨車より状態が良いかも知れません(笑)

続いて人車と黄色い有蓋車も連結されておりました。人車は有蓋車を改造したモノのようです?

駅構内を利用しただけあって前後に細長いこの公園、現役時代の線路も残されているので、何時の日か
観光製糖のように車両の動態保存運転を開始してくれれば、嬉しいですね。
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