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Channel: Kereta dan Kucing
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一昔前の東急大井町線

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6000系による急行運転開始や溝の口への直通運転など、ここ数年で激的な変化を遂げた大井町線ですが、
2005年の夏頃は、8000系・8500系・8090系・9000系と車両のバラエティも豊富で、あの悪夢のような
グラデーション帯と大井町線ステッカーもまだ有りませんでした。

多摩川の上で折り返す赤帯の8500系、桜の季節に偶然撮った一コマですが、今となっては貴重かも?

そして2005年の8月に荏原町駅の先端で撮影していたカットを発見!!
自分でも撮っていたのを、すっかり忘れておりました(笑)

まず107ウ・8640F、この当時は大外れな存在だった大井町線の8500系ですが、今思うとスカート無し
に加え、運番・種別こそLEDですが行先は字幕のまま!!もっと撮っておけば良かったです。

続く108ウは8093F、現在は秩父鉄道に嫁ぎ7500系7504編成として活躍中ですね。

前面窓がHゴム化されているのが惜しまれますが、8090系初期車にはこの赤帯こそ良く似合います。

大本命だった8003Fは110ウの運用で漸くやって来ました。

当時8590系が転属してくるとの情報を知り、廃車が迫っていたこの編成を追っかけましたっけ。

荏原町駅に停車中の8003F、特徴的な跨線橋と古い上屋のあるこの駅には8000系の姿が馴染みます。

この後、8007Fを追ってこの編成までジャカルタに旅立ってしまうとは・・・・・・

それから約3年後、ジャカルタで再会した8003F。

この頃はまだ大井町線時代の運番表示器も健在で、前面帯の幅も東急時代を踏襲してましたね。
保存されるかと思ったクハ8001ですら全車解体されてしまった現在、大井町線の8000系で残る車両は
伊豆急に行ったクハ8049(現TB-7・クモハ8252)とジャカルタの8003Fのみとなってしまいました。

伊豆急に嫁いだクハ8049は美しくリニューアルされてから嫁ぎましたが、8003Fにつきましては、
吊り革の受けや簡易に更新された化粧板など、大井町線8000系の特徴がそのまま残っております。
両編成ともに、今後も末長い活躍を期待したいところですね。

ジャカルタで遭遇したレアな行き先(笑)

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現在はLEDの故障や幕の交換により、日本時代の行き先を表示する車両も、少なくなってしまいたしたが、
入線して間も無かった頃には、各形式共に日本で表示するのも稀なレア幕を、時おり見せてくれました。

東急8607F九段下行き、種別幕にはR様が製作された"ボゴル"の表示が掲出されております。

東葉高速1000系1061F原木中山行き。今じゃ見納めとなってしまった東葉高速カラーの1000系ですが、

この塗装に赤いスカートは全く違和感が無くマッチしておりました。

東急8604F「快速 青山一丁目」夜9時、真っ暗闇のコタ駅に到着し不安でなりませんでしたが、この表示の
8500系がやって来ると不思議と心強くなったのを思い出します。

因みにこの前日は、「急行 北千住」を出して走っておりました。

東急8039F「A31・各停 武蔵小杉」、これは私がスタッフの方にお願いして表示して頂いたものです。

東急時代晩年の8039Fは朝の運用に封じ込められ、朝ラッシュが終わるとこの表示で車庫に戻りました。

東急8612F「急行 神保町」、「九段下」と並びまたまたレアな行き先ですね。

8612Fや8604Fは東急時代〇Kマークを付けた東武非乗り入れ車でしたが、LEDのロムは共通だったようで
直通車と同じ行き先も表示出来ました。

8618F「45T 急行 東武動物公園」。8618Fは8613Fと並び2本しか譲渡されなかった元東武直通編成です。

マンガライの駅でこの表示を見た時は何とも言えない気持ちになりましたね。
何時の日かメトロ7000系の「快速 西武球場前」との共演を夢見ているのですが・・・(笑)

嘉義笨港港口宮に保存中のDT651

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嘉義から西に向かったところにある小さな村、東石郷。には村には別件の用事が有り訪問したのですが、
川を渡った所に位置する廟”笨港港口宮”にもついでに訪問してみました。

この”笨港港口宮”については、以下嘉義県の日本語サイトより引用すると

西暦1684 年、林楷が中国大陸のミ眉洲后天宮から聖母の神像を持って台湾に来た際、この笨口にて
上陸後に休憩し、再び出発しようとした時に、 媽祖様を入れていた籠が持ちあがらなくなったとか?
その理由を港口村の村民に伺うと、この地形はまるで鯉が池で戯れているように見え、風水地理の面
では「鯉魚吉穴」であることが分かり、その為、媽祖様をこの地で奉ることにしたのが由来だそうです。
毎年陰暦3月23日の媽祖生誕の期間には、各地から百万人もの人が押し寄せるとの事でした。

予想していたよりも広大な施設に驚きつつも、この場所で保存されている車両を探してみる事にします。

すると駐車場の隅に、怪しげな檻を発見。

檻の隙間から覗いてみると、DT650(台湾版D51)のトップナンバーDT651が居りました。

しかし保存機の前にはお祭りで使うであろう山車のような物が2台置かれ、まともに撮れません(涙)

でも良く見てみると、張り巡らされたフェンスのお陰か、部品の欠落も少なく状態は悪くなさそうです。

因みに撮影時には気が付かなかったのですが、私がカメラを構えていたこの位置は、かつて台湾製糖の
レールが有り、何とこの保存機の直ぐ横を砂糖きび列車が行き来していたとの事でした!!

フェンスの隙間からコンデジを潜らせ、キャブ付近を撮影。DT651のプレートが凛々しいですね。

何時の日かこの車両も檻から出て、DT668のように再び風を切って走れる日が訪れれば良いのですが・・

林口線の片隅で眠る大日立

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林口線に乗ると、いつも楽しみだったのが南祥〜長興間にあった台湾水泥セメントの専用線でした。
この専用線には日立製の大型DLが棲息しており、動いている姿を一目見たいと思っていたのですが・・

2009年訪問時の台湾水泥セメント専用線、この時点でも廃線跡のようですね(笑)

この専用線のヌシだった大日立(林口線車内より撮影)。

怪しげな庇の付いたキャブや、煙突のような排気管など、ゲテモノ感漂う個性的な姿が魅力的です。

そして今回、林口線の撮影ついでに久しぶりにこの場所に訪問してみると、DLの姿こそ有るものの

台湾水泥セメントの専用線自体は2010年に廃線となってしまったとの事でした。

現役時代そのままの姿で眠りに就く日立製DL、屋根付きで保管されいる影響か、状態は良さそうです。

それにしても走る姿を見れなかったのが、何とも心残りでなりません。

建屋から一歩出ると・・・・レールはサイロから流れ出たと思われるセメントに覆われております。
(撮影時、うかつにも半乾きのセメントに足を突っ込んでしまい、靴がドロドロになってしまいました)

因みに林口線の廃止後は、線路跡をバス専用道路にする話が出ておりますが、そうなるとこんな光景も
きっと見納めとなってしまうでしょうね!!それまでに、この日立の再就職先が見つかれば良いのですが・・・

ジャカルタ・カトリック教会”カテドラル( Gereja Cathedral )”

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バリやジョグジャカルタとは異なり、観光地と呼べる場所が極端に少ないジャカルタですが、
ガンビル、ゴンダンディア駅周辺には、モナスを始めジャカルタを代表する建造物が有ります。

その一つが、カトリック教会”カテドラル( Gereja Cathedral )”

イスラム教徒が90%を占めるインドネシアでは珍しい、キリスト教の教会です。

内部が無料で開放されているので、興味本位に入ってみると、そこはインドネシアに居るとは
思えない程、荘厳な雰囲気に包まれておりました。

キリスト教徒の結婚式なども行われるようですが、この日は人もまばらで閑散としてます。

建物の随所には意匠をこらしたデザインが鏤められており、見ていて飽きません。

暑いジャカルタにも関わらず、この建物内だけは不思議と涼しかったのが印象的です。

建物の前には小さな川が流れ、混沌としたジャカルタの街において、まるで一服の清涼剤のようでした。

因みにこの建物の向かいには、東アジア最大のイスラム教徒の寺院”マスジッド・イスティクラル”も
有りましたが、こちらは未だ訪問した事が有りません。なので機会があればこちらも行ってみたいですね。

東横線・日比谷線の直通運転が終焉へ

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本日、東京急行電鉄東横線と東京メトロ副都心線との直通運転を開始するニュースが東京急行電鉄の
ホームページに正式にリリースされましたが、その中に少々気になる一文が明記されておりました。

その一文とは(東急電鉄PDFファイルより引用、以下原文のまま)
(2)東横線と東京メトロ日比谷線との直通運転
東横線・東京メトロ副都心線の相互直通運転にあわせ、現在東横線と相互直通運転を実施している日比谷
線は中目黒を始発・終着駅とし、東横線は全列車渋谷方面行きとなります。

以上、明確に廃止とは書かれていないものの、文面を見る限り東横線と日比谷線との総合乗り入れは事実上
無くなるとみて間違い無いでしょう。

日比谷線の全線開通から永らく続いた直通運転、もう北千住で東急車同士の並びが見られなくなるかと思う
と寂しい限りですね。そうそう東横線内での営団車の苦い想い出といえばやはりマッコウクジラこと営団3000
系、東横線のホームで待っていて、あの禿げ上がったオデコを見た時は絶望感を覚えましたっけ・・・暑い車内
に暑苦しい色の化粧板、喧しい割に涼しく無いラインデリアなど、良い印象が一つも有りませんでした(笑)

そして気になるのが、直通の廃止と同時に職を失ってしまう7本の1000系達の去就は???
様々な地方私鉄への譲渡の話もあるだけに、副都心線直通後の同車の動向が注目されます。
余談ですが、写真の1311Fは一足先に引退し、現在は伊賀鉄道にて活躍中です。

林口線の石炭列車を追っかける その?

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桃園空港と台北市内を結ぶ”桃園機場捷運”の部分開業が来年に迫って参りましたが、一方で、台鉄桃園駅から
林口までを結んでいる”桃林鉄路”こと林口線につきましては、MRTの開業と共に廃止が濃厚となって参りました。
元々火力発電所へ石炭を輸送するために敷かれた貨物専用線だった同線ですが、近年になり沿線に住民が増加
して来た事から、桃園県が旅客列車運行に関する全ての経費を負担し、現在も無料で運行されております。

無料で乗車出来る為か?ホームは台鉄桃園駅からは少し離れた駐車場の片隅に有り、朝と夕の2往復の列車は
何時乗っても、通学する学生達や暇潰しの地元の人で賑わっておりました。

今回も車内には沢山の学生さん達の姿が!!皆さん懸命に教科書を読んでいたのが印象的でした。

旅客線の終着の海湖駅に到着すると、列車は林口方面へ向け一端引き上げて行きます。
因みに折り返して乗車する場合は、降ろされる事無くエンド交換する引き上げ地点まで乗車出来ました(笑)

終着駅にも関わらず、ホーム以外は何も無い閑散とした”海湖駅”

複線だった用地にホームを設置したらしく、ホームの土台付近を見るとレールも残っておりました。

その後、折り返しで桃園に向かう1901次が海湖駅を出発。

軌条こそ立派ですが、勾配の緩和が行われていないようで、日本では有り得ないアップダウンを進みます。

海湖で列車を見送った後は、台湾の友人Fさんと合流し車で林口発電所近くの俯瞰ポイントへ!!

登るのに少々難儀しましたが、頂上から見下ろすと水平線と地平線が望める最高のロケーションでした。

列車を待っている間、Fさんからの差し入れの朝ごはんを頂く事にします。

台北の有名店”永和豆漿”の豆漿(豆乳)と油條(揚げパン)、豆乳というと日本ではあまり好まれませんが
、台湾では定番の朝食メニューで、ほんのり甘い豆乳に揚げパンを浸し、とても美味しく頂きました♪

つづく

林口線の石炭列車を追っかける その?

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朝食の後、撮影ポイントで列車を待ちますが、予定の時刻になっても石炭列車は来ません??
台湾の貨物列車は遅れる事が日常なので、上空を飛ぶ飛行機を見ながら気長に待つ事にします。

すると、社名の書かれていない謎の真っ白なB747が通過!!窓が無いのでカーゴ機のようですが、
売却される機体だったのかも知れませんね??

列車が来ないので、周辺を適当に散策してみると、何と線路脇にトーチカを発見!!

戒厳令が敷かれていた時代、発電所に資材を運ぶこの路線は軍事的にも重要な路線だったのでしょう。

更に山の中腹を見ると海岸線に向け砲台らしき姿も・・・・しかし良く見ると砲台の先端はコンクリート
で埋められており、トーチカと同じく国共内戦時代の遺物のようです。

炎天下の中、1時間経っても列車が来ないため、台湾の友人M氏が桃園駅に問い合わせてみたところ、
何とこの日は4往復ある石炭列車の3往復が運休だそうで、午後の1往復のみとの事でした(涙)

その後、お昼ごはんを食べ列車の時間が近づいたので、撮影地に向かい線路沿いを歩いていると、
後方より、30分以上も早く石炭列車がやって来てしまいました(涙)

台湾の友人曰く「台湾の貨物列車の時刻は有って無いようなもの」だそうですが、正にその通りですね。

俯瞰ポイントの山に登り、折り返し林口発電所からやって来る返空列車を待っていると、紅白の煙突が
特徴的な林口発電所をバックに、ほぼ時間通りに通過して行きました。

今回はこの1往復しか撮れませんでしたので、次回訪台時には再度リベンジしてみたいですね。

入線直後の伊豆急8000系

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2005年の9月、余剰となった青春18きっぷ解消のため、当時営業を開始したばかりだった8000系を訪ね伊東
まで行ってみました。しかし当時の伊豆急は200系ばかりで、お目当ての8000系はなかなか来ません・・

113系・115系を改造したこれら編成ですが、今思うともっと記録しておけば良かったと後悔しております。

暫く経ち、雨も振り出した頃、やっと待望の8000系が入線して参りました。

先頭に立つクハ8051は元東急クハ8035、桜木町廃止まで活躍した想い出の車両です。

久しぶりに車内に一歩入ると、海側がクロスシート化されているものの化粧板は未更新車時代のまま!!

折角なのでクロスシートに腰かけ、馴染みあるモーター音を聞きながら駅弁を頂く事に(笑)
ガラガラの車内で食べる、”とん漬け弁当”は正しく絶品でした。

そして、あっと言う間に熱海駅に到着、折り返し伊豆高原行きとなる列車を東海道線ホームから撮影。

2連時代のT-11編成、その後、電装されシングルアームパンタが搭載されるとは思いませんでしたね。

後方に連結されていたT-1編成、クハ8001は東急8011Fのクハ8012改造車です。

今、改めて見ると運行番号が、200系から流用されたパネル式のままなのが何とも懐かしい・・・・
当時、密着電連とスカートの付いた8000系には凄く違和感を感じましたが、この後でまさかインドネシア
にまで進出するとは夢にも思いませんでした。

インドネシア客レの愉しみ!!

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インドネシア国内にて縦横無尽に張り巡らされいている鉄道網を管轄するK.A.I”kereta Api Indonesia
(Persero) ” ですが、日本から訪問する私達ファンは、ついつい譲渡車の乗車ばかりを優先してしまい、
K.A.Iの運行する客車列車には乗車する機会がなかなか有りませんね?

かくいう私もなかなか乗る機会が無かったのですが、数年前に訪問した際、タナアバン駅からセネン駅まで
地元マニアの方々と一緒に無料で乗せて頂く事が出来ました。

客車の車内に一歩入ると冷房こそ有りませんが、車内は清掃が行き届いております。

乗車と同時に、新聞が各座席に配られて来ました(流石に悪いのでポケットに置いて来ました)が・・・。

やがて、あっという間にパサールセネン駅に到着!!

このまま乗っていたい気持ちにもなりましたが、この後でスラバヤ方面に向け出発して行くこの列車に
乗っていると夜が明けてしまいそうですね。

その後、パサールセネン駅にて下車、構内で機回しする列車達を見ていると、子供達が集まって来ます。

私が子供の頃も、相模大野などで電車の増解結シーンを興味津々に眺めていただけに共感を覚えました(笑)

乗客を降ろし、マンガライ客車区へ引き上げるエコノミー回送列車。

何れ機会があれば、これら列車に乗ってジャワ島・スマトラ島と周遊するのも良いですね。

十分老街の猫達の近況!!

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九イ分と並び、すっかり人気観光地となった平渓線の”十分駅”週末ともなると国内外から沢山の人達
が訪れ、3両編成に超満員のお客さんを乗せた列車が到着すると、一気にこの駅で降りて行きます。

炭鉱の閉山後、十分老街には空店舗が目立っていたのですが、現在は以前よりも賑やかになりました。

十分老街に立ち寄ると併用軌道と共に楽しみなのが、いつもお店が並び始まる地点に居る猫達。

今回も居るかな?と思い、歩いているとやはり居たっ(笑)

黒猫と茶虎が混ざったような柄の個性的な子が、観光客と共に歩いて来ました。

私の姿を見ると、何か必死に訴えかけてきますが、近づくと逃げてしまいます・・・??

その後、日陰だった石段の上に飛びあがり、気持ち良さそうにお昼寝をはじめました。

台湾の猫は暑い日中、日陰で寝ているのかも知れません。それにしても、何とも形容し難い模様です(笑)

そして、前回の訪問時は茶虎の親子猫が居た小吃屋さんの前に行ってみると。

以前居た親子猫の姿は無く、一匹の三毛猫が気持ちよさそうに寝ております。

この猫、見た事あるな〜?と思い、写真を確認してみると今年の初めにも遭遇してました。

1月に見た時は、まだ子猫サイズだったのに、すっかり大きくなりましたね(笑)
次回は、1月に会った茶虎親子にも再会出来れば良いのですが・・・・

東急1000系のイレギュラーな顔合わせ

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東横線での運用撤退までカウントダウンが始まった東急1000系、日比谷線内でこの電車に遭遇すると、
その日は何となくハッピーになる”当たり”な電車だっただけに、見納めとなるのは寂しい限りですね。

そんな1000系ですが、車両故障等でダイヤが乱れ日比谷線直通が中止された時には、こうして1000系
同士が顔を会わせ自由が丘で待避する事も有りました。

そして2008年のお正月にはこんなコラボレーションも実現。

元住吉駅の高架化後、8000系は朝の限定運用となり、優等運用に就くのはごく稀でしたが、引退を間近に
控えた2008年の正月三が日限定で、8017Fが久しぶりに17ウ運用に就き、高架化後の元住吉駅で日比谷線
直通の1000系を追い抜くという、貴重な光景が実現しました。
この他、昨年の今頃は節電ダイヤにより日比谷線直通が中止され、1000系が渋谷まで直通するという
イレギュラーな運用もあったのですが、結局撮影しないまま節電ダイヤが終了してしまいましたっけ・・
今思うと、記録として撮っておけば良かったと後悔しております。

ジャカルタでの注意喚起

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ここ数年で日本から譲渡された車両のバラエティーも増え、ますます魅力的になって来たKCJ、KAIと
いったジャカルタの鉄道ですが、当然の事ながら日本の常識では有り得ない出来事が起きる事も!!

私が経験した一例を挙げると、ある日のジャティネガラ駅での出来事、ブカシへ向かう8007Fのエコノミー
ACが発車したので、側線で撮影していると・・・・・・何故か猛烈にタイフォーンを鳴らされます??

「一体何故」と少々腑に落ちませんでしたが、大人しく撤退し暫くすると、後ろから、私が居た側線に
向け8007Fが突っ込んで来て、もしも一歩近かったら私は大怪我をしていたかも知れません。

どうやら本線の優等列車を優先したため、急遽エコノミーACがこちらの側線に誘導されたようでした。

レールはヘロヘロに歪んでいた上、沢山の人達が歩いていたので、少なくとも電車は来ないだろう?と
勝手に思っていたのですが、大間違いあやうく轢死するところでしたね。

間もなく訪れるお盆休み、今年も日本から沢山のレールファンが訪問されるかと思いますが、日本と異なり
何が起きるか分かりません。なので鉄道敷地内で撮影する場合は、行き交う列車にくれぐれもご注意下さい。

台南・飛虎将軍廟へお参りに

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今年2月の訪台時、嘉儀からスタートしたレンタカーで行く糖鉄巡りの終点は台南だったので、ラストは
前々から行って見たかったこの場所に行ってみる事にしました。

その場所とは、台南市中心部から5kmほどの場所にある「鎮安堂 飛虎将軍廟」。

一見すると、何処にでもある中華廟ですが、廟の天井からは「歓迎!!日本国の皆々さまようこそ 
参拝にいらっしゃいました」と私達日本人を歓迎する横断幕が掲げられております。

それもその筈、この廟は台南上空で米軍機と交戦し亡くなった日本軍パイロットを祀ったもので、
現在も毎朝”君が代”を夕方には”海ゆかば”流し、亡くなったパイロットを尉霊しているとの事でした。

廟の中に一歩入り目に付いたのが、仲良く掲げられた日本の日の丸と中華民国の国旗。
その後、管理者の方に来意を告げると熱烈歓迎してくれました。

日本から持って来たタバコと日本酒をお備えし、手を合わせた後は、管理者の方から特級烏龍茶や豚まんの
振舞いを頂き、烏龍茶の淹れ方や茶葉の見分け方なども教えて貰っていると、つい長居をしてしまいます。

この方が廟の神様となった杉浦少尉だそうです。

台南上空にて米軍機と交戦し被弾するも、海尾の街への墜落を避けるため必死に飛び続け、街を避けた
ところを見計らい落下傘で飛び降りたそうですが、機銃掃射を浴び壮絶な最期を遂げたとの事でした。

街を戦火から救った英雄を祀るため、昭和46年にこの廟が建てられ当初は4坪ほどの小さな廟でしたが、

多くの霊験が報告された結果、参拝者も増え現在の50坪ほどの廟となったそうです。
蒋介石も健在で、国民党による恐怖政治が続いていた昭和46年に、日本の軍人を祀る廟を建てるとは・・・
一時は国民党からの撤去命令もあったそうで、携わった方々は並々ならぬ苦労があった事でしょう!!

廟の中心に鎮座する御神体。軍刀を真中に構え、いかにも軍神らしい姿ですね。
台には『杉浦』と彫られています。左右の像は御神体の分身との事でした。

管理者の方とお茶を飲みながらまったり話していると、廟の前に観光バスが到着!!どうやら台南観光に
この廟も入っているらしく、日本からのツアー客の皆さんがやって来たので私達は退散する事にします。

軍人を祀っている廟ですが、右傾化した思想の象徴という訳では決して無く、街を救った英雄を、国境や
思想を越え、後世に語り継いでくれるようで、一日本人として感謝の気持ちで一杯でした。

川口市青木町公園で眠る?京浜急行デハ230形

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関東地方は毎日ウンザリするような暑い日が続きますが、本日はクソ暑い中、友人MT氏と共に保存
されている元京浜急行デハ230形236号を訪ね、川口市にある青木町公園まで行って参りました。

公園の入り口から歩く事約5分、マラソンコース沿いに突如京浜急行の電車が出現します。
前回MT氏が訪問した10年前はピカピカに整備されていたそうですが、現在では残念な状態に・・・

今回訪問した最大の目的は、MT氏の秘蔵する現役時代の大師線のサボを取り付け撮影する事!!
恐る恐るサボを車体に取り付けてみたのですが、金具の位置が若干狂っていて上手く付きません。

でも色々試行錯誤した所、何とか車体に付きました。まずは川崎〜川崎大師〜産業道路行きから♪

続いて私が持参した”急行”の板を取り付け、大晦日に運転された品川からのだるま急行風イメージ。

行き先板も種別板もボロボロだったので、上手く車両に溶け込んでいるようですね(笑)

外板がかなり草臥れた様子だったので、車内も気になり窓から覗いてみると・・・・・
(現在は原則車内非公開となっておりました)

雨漏りがするのか?シートは変色した上で破れており、色々な個所で老朽化が見られました。

そして最後に、デハ230形が引退するまで通った川崎〜川崎大師〜小島新田のサボを取り付け!!

こうしてローアングルから眺めてみると、まるで現役の列車ようです!!満身創痍の状態が少々残念
でしたが、現存するだけでも貴重なこの車両が、これからも末永く保存される事を願うばかりですね。

オマケ。デハ230形というと思い出すのが、やはり琴電30形です。

最後まで残った27-28号が、数年前にあっさり解体されてしまったのは、本当に残念でなりません。

ジャカルタでの注意喚起その?

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日本からジャカルタに到着後、スカルノハッタ飛行場から市内に向かうには、タクシーかバスでの移動
が前提となります。バスは20000Rpと安価ですが経由地が多い上、トランクに積んだスーツケースの
盗難事故等の不安も有りますので、やはりタクシーでの移動がベターかと思われます。

入国手続きを済ました後に、シルバーバードタクシーのカウンターが有りますので、そこで手配すると、
市内まで、前金で20万Rp(約2000円)位で行けました(少々高いですが安心を買ったと思えば・・・・)。

皆さんもご存知の通り、ジャカルタには多数のタクシー会社が有り、一番安全とされているのが、銀色の
シルバーバードタクシーとブルーのブルバードグループ(PUSAKAを含む)のタクシー、その次が白い車体
のエクスプレスタクシー・ボロブドゥールタクシーと続き、それ以外のタクシーは少々危険とされています。

私も実際、上記以外のタクシーの乗った事が有りましたが、メーター以上の金額を請求された事も有り、
正直お薦めはしません。そして中にはブルバードタクシーにそっくりな外観の車両も居りましたので、利用
される際には、フロントガラスに貼られた「BlUEBIRD GROUP」のロゴを良く確認した方が良さそうです。

しかし安全だと思われたブルバードタクシーでも、以前思いがけない落とし穴に遭遇した事が有りました。

それはジャカルタ滞在最終日、早朝便に乗るため深夜にホテルをチェックアウトし、ブルーバードタクシー
に乗りスカルノハッタ飛行場に向かっていた時です。後部座席でウトウトしていると、ドライバーの方から
呼ばれ、何かと思うと警察からの検問が有るとの事でした。

迂闊にも日本の間隔で居たので、タクシーを降り、言われるがままに警察官の言う通りパスポートを見せると
何故かいきなり取り上げられ、ポケットの何故か財布(チェーン付き)の中身までチェックし始めます??
そしてその場に居た警察官から、財布に入っていた1万円札を3枚出せと言われ?全く心当たりが無いにも
関わらず理不尽な要求に驚きつつも、当然「嫌だ」とインドネシア語で答えた所「じゃあ警察所まで連行する」
と脅迫して来まる始末・・正直こんな事でお金を払うのは嫌でしたが、粘り強く値切り交渉をした結果、20万Rp
(2000円)まで下がりましたので、飛行機の時間が徐々に迫っていた事もあり、この時は仕方なく払いました。

この後、タクシーのドライバーから「インドネシアの警官は腐っていて本当に申し訳無い」と謝られ、何とも
やるせない気持ちになったのを思い出します。
それにしても、危険危険と言われていたジャカルタに何度も訪問し、初めて遭ったトラブルが、まさか治安を
維持する筈の警察とは・・・・・この辺の腐敗についても早々に撲滅出来るよう徹底して欲しい所ですね。

いくら注意して、安全なタクシーに乗っていてもこんな事が起こるケースも有りますので、万が一起きてしまった
場合は、まずご自身の安全を第一に、落ち着いて行動して下さい。

十分老街の休日

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台北近郊の人気観光地”十分”の休日は沢山の観光客で賑わい、老街の真ん中を貫く平渓線の線路も、
沢山の人が詰めかけ、まるで歩行者天国を見ているかのようでした。

そして十分や平渓といえば名物なのが”天燈”、老街の左右には沢山の天燈屋さんが軒を連ねます。

列車が通過すると、平渓線の線路上では一斉に天燈の打ち上げが開始。

それぞれの願いが書かれた天燈が、次から次へと空に向かって放たれて行きます。

すっかり観光地化された感のある老街ですが、中にはこんな趣きあるお店も健在でした。

以前は線路と道路を隔てる植え込みも無く、併用軌道然としていたのですが、観光地化されると共に
その雰囲気が少し失われてしまったような気がします。

台湾鉄道管理局によると、線路内への立ち入りは禁止されているようですが、この周辺に関しては
観光地という事もあり、あえて黙認されている様子ですね。

天燈の下に花火を付けたモノも有り、威勢の良い音を鳴らしつつ上昇して行きました。

やがて列車の通過時間になると、一斉に人が左右に分かれ列車の通過を見送ります。

初めてこの街に訪問した時は、道のど真ん中を列車が走る光景に、正直驚かされましたっけ・・・

最後に老街で偶然遭遇したB級グルメです。

チキンソーセージのお店でしたが、ここで食べたワサビ味のソーセージはクセになりそうな位に独特な
味付けで、病み付きになりそうでした!!

お盆休みは台湾へ

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今年のお盆休みは、動態復活したDT668を撮影するため先月に続き台湾へ遠征しておりました。
帰国後も、色々忙しく更新が滞ってしました事お詫び申し上げます。

今回台湾版D51ことDT668による復活運転が行われたのは、集集線の濁水駅から車埕駅まで。

蒸気列車の運転される時間、定期列車が運休となりバス代行となるのには驚きました(笑)

続いて滞在した高雄では、MRTで行ける製糖工場、高雄製糖へ。

想像以上に大きな工場で、多数の車両が保存されておりました。

そして半年ぶりに南廻線の普快車にも乗車。

詳細は追って掲載させて頂きたく思います。

JabotabekからHolec撤退

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パクアン急行様のブログによると、今月初旬に兼ねてから評判の芳しくなかったHolecことK3-94〜02が
全車運用を離脱したとの事でした。初めてこの車両を見た時、不気味な表情と荒れ果てた車内に辟易し、
どちらかと言うと避けたい存在でしたが、いざ無くなってしまうと寂しいものです。

エコノミーに運用されるという宿命上、全般検査でピカピカになっても、数カ月後には荒れ果てた姿となり。

無数の投石による傷や、前面ガラスにめり込んだ石が何とも痛々しかったのを思い出します。

パクアン急行様も書かれている通り、レールファンからもスタッフからも嫌われていたこの車両ですが、

BukitDuri電車区の区長室に掲げられていたデビュー時の記念写真を見ると、当時の人々がこの車両
に対し込めた、その期待の大きさを伺い知る事が出来ました。

それが僅か10年超で全車廃車になってしまうとは・・・・余談ですが”世界の車窓から”のインドネシア編を
見ると、冒頭で僅かですが、このHolecのデビュー当時の映像を見る事が出来ます。

今年1月に撮影したHolec、VVVFインバーター制御の電車が抵抗制御車より先に引退するとは、正に
本末転倒といったところでしょうか。これならReostacを増備した方がよっぽど効果的だったのでは?

ロクに日の目を見ないままJABOTABEK圏から去り、気動車化され地方で活躍するのが関の山かと思われた
Holecですが、現在INKA社には、このHolecを改造した冷房付き新型電車が留置中との情報が!!!

フルリニューアルして、再びJABOTABEK圏に戻って来るのか??今後の動向が注目されますね。

みなとみらい線開通前夜

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来年春、東横線・東京メトロ副都心線との直通運転開始に伴い、地上の渋谷駅が姿を消しますが、きっと
3月15日の終電後から3月16日の未明にかけ、一夜にして切り替える神業的工事が行われる事でしょう。
地下化切り替え工事と聞き、やはり思い出すのが、東急ファンにとって一大イベントとなった桜木町駅廃止
後、一夜にして切り替わった東白楽〜反町駅間の地下化切り替え工事です。

2004年1月30日の夕方、地下化される区間を8590系が通過中。工事現場には視察に訪れる人向けの来賓席
まで設置され、まるでショーでも繰り広げられるか?のような雰囲気でした。

9001Fによる渋谷発の最終列車で桜木町まで行った後は、MT氏の妹さんの運転する車で東白楽まで移動!!
すると既に作業が開始されており、私達も、隣接する公園から見学する事にします。

丁度良い位置に公園がある影響か、真夜中にも関わらずギャラリーが多く、なかには高架線切り替え
工事が予定の時間までに終わらず、大遅延を発生させてしまった某社関係者らしき人も見かけました。

まずは架線の撤去が行われ、次にレールの切断と、区切られたブロックごとに作業が進められ各所が
ガスバーナーの火花で彩られます。

すると現場には大型クレーン車が続々と到着、ギャラリー一同(笑)固唾を飲んで見守っていると、

切断の終わった個所から、設置されていた架設橋が外され、宙を舞って行きました。

渋谷方の一部は架線が残った状態でしたが、合間を縫って次々と運び出されて行きます。

因みに外された架設橋につきましては、クレーンによりダイレクトにトラックに積み込まれ、荷台が一杯

になると直ぐに出発し、次々と新しいトラックが到着している様子でした。

そして午前3時が近くなった頃、最後の架設橋の撤去が行われます。

2台のクレーンにより慎重に作業が進みますが、寸分の狂いも無く撤去が完了!!

架設橋・橋桁の撤去が完了すると、架線を地下線まで降ろす作業が進められます。果たして始発までに
本当に間に合うのか?と少々不安でしたが、どうやら無用な心配だったようで、5時前には地下線内で

試運転のため、Y500系と共に陸送され地下区間に閉じ込められていた9000系9008Fが出て参りました。
因みに、この時のシーンは動画にて撮影していたのですが、生憎データが破損し再生出来ません(>_
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